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偶然にも那覇の大綱挽に遭遇した
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100円で生ビールが飲める店! 那覇「ぼんぢりや本店」
いつでも100円で生ビールが飲める! 「ぼんぢりや本店」で飲んだっくれてきた からの続きです 久茂地には数えきれない程の居酒屋がある。グラン那覇の周りも居酒屋ばかり。しかし、俺はわざわざ県庁前まで歩い ...
からの続きです
本日もゲストハウス・グラン那覇に滞在。コンビニにおにぎりを買いにふらっと外に出ると町が騒々しい。露店も出ている。
何事じゃあっ!って周りを見渡すと那覇大綱挽のPOPが目に入った。あー!猪に聞いた事あるわ。エイサー祭りと那覇の大綱挽が沖縄では有名な祭りって。58号線でやるんだ。那覇グランドから徒歩1分の場所が祭りの開催場所であった。
沖縄県内には綱引きによってその年の吉凶を占うという風習が各地に残るが、那覇の綱挽は1600年代から行われていたとされる。
17世紀、那覇が首里の外港としての地位を確立すると、西村、東村、若狭町村、泉崎村の「那覇四町」が成立した。そうした中、四町が東西に分かれてみーんな(女綱)とをぅーんな(男綱)をかぬち棒でつなぎ、東西に分かれて綱を引き合うという「那覇四町大綱」(ナーファユマチウーンナ)が定着したとみられる。その後、那覇の発展とともに周辺の村々も加わるようになって琉球王国の国家的催事となり、1812年には「那覇綱挽規模帳」が作成されてルールが明確化。祝賀行事としてだけでなく、薩摩藩や清からの使節の歓迎行事としても行われるようになった。wikipediaより
だそうだ。エイサー祭りは行く気満々で行ったが、綱引きに関しては何も調べてなかった。すげー偶然。これは何かの縁ですな。午後から始まるらしいので近くで見てみよう。
那覇大綱挽スタート
午後になり再び外に出ると58号線は大混雑していた。こんな集まるのか。綱デカっ!
さすがギネス認定を受けた世界一の大綱なだけはある。全長186メートル、総重量40.22トン、綱直径1.58メートル、手綱数236本、挽き手1.5万人、参加人数27.5万人だそうだ。規模デカすぎw
久茂地の交差点が綱の中心になるようだ。綱引きの準備が進んでいく。
大将同士が綱の中心部で「支度」と呼ばれる、歴史上の人物に扮して見得を切りあうイベントが始まる。戦国時代の「やーやーわれこそは」的なやつね。かっこよろしいじゃないですか。
沖縄の歴史知ってるとこういうのも、もっとおもろいんだろうね。モチーフになってる話の内容がわかって。無学なオレは何のことやらさっぱりわからぬまま、ただ「うおおー」と唸っていた。
中央のデッカい綱の枝の部分が配られていく。これを持ってみんなで引っ張るようだ。あの巨大な綱をどーやって引っ張るのか疑問だったが、そういう事ね。那覇大綱挽は誰でも参加出来るのがいいところ。
そして遂に綱引きスタート!無駄にテンション上がりますね。
「あーいや!」「はーいやっ!」みたいな掛け声と「ピーッ・ピッ!」ってホイッスルが鳴り響く。そのリズムに合わせてガンガン綱を引っ張る。鈴や太鼓の音がデカくて迫力あるなー。
十分ぐらいの戦いの末、我らが(たまたまそっち側にいただけ)東軍が勝利を収めた。なんか知らんけど勝った。気分いいわ。ウオォォーっ!!ってみんなでなってる。こういうのって、なんか連帯感生まれますね。
引っ張ってる人、米軍兵士が結構多かった。そら強えーわ。ガタイ良すぎw国籍や民族を超えてはしゃげる祭りはいいですね。
そして、綱引きが終わってからも、手綱を貰う為に人がめっちゃ集まっていた。幸せを呼ぶ縁起物として持って帰れるそうだ。しかし…綱引き並の争奪戦ですなww
全てをひん剥かれた綱ww中身はこういう風になってたのか。この後クレーン数台を使って運ばれていった。なんだろう、なんか切ない。
俺もありがたく手綱を頂いた。現在は猪邸に飾られているそうだ。
あーおもろかった。今年は祭りやお盆など、沖縄の文化に参加出来てよかったなぁ。
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