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これはダメなおっさん共の旅の記録です
ここでは簡単にこのブログについて、そして"俺"というおっさんについて話したいと思います。
このブログは、沖縄本島をはじめ、石垣や西表、慶良間諸島などの離島巡りやカンボジア移住についてや、元々の趣味であった神社仏閣巡りなど旅行全般を扱っています。
朝梟(あさふくろう)という呼びにくい名前ですが、これは、かつては同じ職場に所属する「池袋で朝まで飲んだっくれて、ひたすらくだをまくダメなオッサンの集まり」の名前でした。
朝まで池袋で飲んだっくれる集団→朝池袋→朝袋→これは「とある植物」を連想するからやめよう→結果「朝梟」と命名されたどーしようもない飲んだっくれのおっさん共。これがベースになっています。
イケフクロウみたいで覚えやすいなみたいな。※因みに、イラストレーターで朝梟さんってめっちゃ絵のうまい北欧の方がいるのだけど、無関係です。
今ではみんな、それぞれの道を行くようになり、ほとんど関わらなくなった人も増えましたが、個人的にこの名前は気に入っているので使い続けています。朝も梟も縁起よさそうなので。
最近は健康第一という事で、酒などほぼ飲まなくなってしまいましたが、当時は毎日のようにみんなで飲んで、めちゃくちゃな毎日を過していました。週に2日ぐらいは朝日を拝んでいた気がします。道端で寝る事などもたまにありました(笑)。
「朝梟 旅行記」はそういった、しょうもないクズなおっさん共の色々な旅をまとめたブログです。
沖縄に行くようになった理由
そもそも俺は旅行などしない人生を送ってきました。
家業は旅行系の仕事ですが、当時仲の悪かった(今は仲良くしてます)父親に対する反発もあり、全く興味がなかったですねぇ。旅より思い出より"買える物"の方を大事にしていました。
旅行と全く無縁だった"俺"が自ら沖縄を旅するようになったのは、沖縄産の獰猛なイノシシ(30代後半のおっさん)と東京で知り合った事が発端でした。
俺がいた職場に入ってきたイノシシ。通称、秋葉イノシシ。30代後半のおっさんで見た目によらずフットワークの軽い獣。
最初はお互い気に入らない奴だなと思ってましたが、飲んだ時に話をしてみると意外といい奴で仲良くなりしました。それから数年間、東京でイノシシと一緒に遊び回っていましたが、彼はある日家業の都合で沖縄に帰っていきました。
それから数ヶ月後、俺は千代田インコ(この後、旅の道連れとして何度も借り出される事になる)と居酒屋で飲みながら、沖縄について話をしておりました。
これが長く続く沖縄への旅のはじまりになります。
記念すべき第一回沖縄の旅
しかし、記念すべき第1回、2011年10月の沖縄の旅は、なかなか酷いものになりました(笑)
10月のある日、那覇空港に降り立った俺と千代田インコ。
東京は寒くなりはじめていましたが、沖縄は暖かくというかむし暑く、緯度の違いを肌で感じました。この時はめっちゃ興奮しましたね(笑)
無事に秋葉イノシシと再会し、俺達はこれから始まる旅にワクワク胸を踊らせていたのですが…
滞在中の3日間、我々がやった事と言えば、久茂地の居酒屋、松山のキャバクラとカラオケにひたすら連れて行かれただけっていう…。
しかも何故かイノシシの分も全額こっちが負担する事に。
みたいな事を真顔で言ってたので、ちょっとマジで引きましたねぇ。
今思うと、自分達でろくにリサーチもせず、地元民だからという理由で秋葉イノシシに観光案内を頼んだのが間違いだったのでしょう。
彼なりに気を使って、楽しませようとしてくれたんだろうとは思いますが、普段東京で働いてる人間的には「沖縄美人」よりも「碧い空と煌めく海」が見たかった…。週末の新宿となんら変わらないだろコレと。そういうわけで第1回沖縄の旅は、俺たちの中では無かった事になっています。
翌年の夏、我々は自らでリサーチし、旅のプランを作成。リベンジの旅に出ました。そこでやっと一般的に言う、南国沖縄を満喫することができました(笑)。
まともに旅した沖縄は非日常の感覚が心地よく、がっつりハマりましたね。そこから自発的に毎年数回沖縄に行くようになりました。
その後は旅するというよりは、プチ移住するような形で滞在しています。年に数週間~数か月単位で那覇に滞在して、そこから離島などに行ってます。
半年間の沖縄長期滞在
このページの目次1 今年は沖縄に半年間の長期滞在2 今年は沖縄北部と座間味島、石垣島・八重山を旅します2.1 沖縄本島2.2 沖縄離島 座間味2.3 沖縄離島 石垣島・八重山諸島3 この旅の後はカンボ ...
ここ数年は、昔一緒に働いていた、中城出身の牧志シーサー(マジでシーサー顔の飲食店経営者)が沖縄に戻りラーメン屋を始めたり、東京で働いてた会社が沖縄に子会社を作ったり、東京の知り合い数名が浦添や牧志に移住したりで、やたらと賑やかになってきました。
彼らの繋がりで関わる人も増え、なんというか旅しに行く場所というよりは、疲れた時に帰省する場所みたいになりましたねぇ。那覇空港に着くと
といった感じで、毎晩人が集まり飲んだくれる事になるのですが、単純に「旅」していた時より楽しいですね。
沖縄 国際通りで居酒屋巡り!!
那覇国際通り周辺は居酒屋やバーなど飲食店の宝庫。観光客向けの沖縄居酒屋を始め、ありとあらゆるジャンルの飲食店が乱立しています。居酒屋を経営している(現在はラーメン屋に転身)友人と共に国際通り周辺の居酒 ...
書いてるおっさんについて
幼少期から中学まで 長く険しい暗い日々
俺は、1970年代の終わりの方でこの世に生まれ、大阪の堺市でスクスクと育ちました。割りと大人しい扱いやすい子供だったようです。
その後、親父の仕事の関係で西宮に移り、小学生を過ごします。この時はめっちゃ平和だったなー。毎日楽しかった気がする。
そこから、また親父の仕事の関係で九州へ引っ越す事になりました。
それまではまぁまぁ楽しく生きていましたが、ここからは生きるのがしんどくなります。当時、かなり太っていたのと、関西弁を話すのもあってか、九州では、なんだかわかりませんが、めっちゃイジメられましたw
あんまり思い出したくないですね。同窓会などには多分一生出ないでしょう。それもあって、言葉は標準語しか話さないようになりました。とにかく毎日しんどかった。何もかもが面白くなかった。
学校って辞めるとかそういった出口がないので良くないですね。引き籠るとそれはそれで問題児扱いになりますからねぇ。ただただしんどい事に耐え続ける日々でした。正直もう二度とやりたくない。
高校時代はけっこう楽しかった!留年が人生の転機に!
高校に入ってからも学校というか、人間そのものが嫌いでサボっていた結果、2年生の時に留年しました。そのまま辞めてしまうつもりでしたが親や学校の先生の説得もあり、しばらく休んで4月から復帰する事に。
この休学期間にダイエットに励みつつバイトをしてお金を貯めました。ダイエットはうまくいって、2ヶ月で15kgの減量をしました。「何も食べない、食べたら吐く」というむちゃくちゃなやり方でしたが、結果を出せた事で自信がつきました。
そして密かにバイクの免許を取得。バイトで貯めたお金で、当時発売されたばかりのアメリカンバイク、ドラッグスターを購入し、色々な場所へツーリングに。
阿蘇の方までよく行きましたね。休学時代はそれまでの人生で一番アクティブだった気がします。
翌年の4月、学校に復帰してからは今までと打って変わって、周りに恵まれ楽しく過ごせるようになりました。
留年してからの同級生はホントにいいやつばかりでした。こっちが近づくなオーラを放っていても、話しかけてくるんですよね。年上だからと気を使うこともなく、みんな普通に仲良くしてくれました。留年しなかったら修学旅行など絶対行かなかったでしょう。
しかも何故か、今まで自分がいた学年(本来の同級生)のスクールカースト上位(笑)のやつらとも復学してから仲良くなりましたね。なんなんだろ?
留年を経験した事で「挫折は別に悪い事ではない」と知りました。未だに、しんどい事があって心が折れたとしても、それは必ずいい結果に繋がると信じています。
リアルな話、しんどい事も少し時間が経てば「この喜びの為にあったのか」と思える日がだいたい来ます。
専門学校を卒業し美容師に
高校を出た後は、美容系の専門学校に通い、卒業と共に昔いた大阪へ。美容室で働き始めました。なんやかんや、関西は気が楽。天王寺よりちょっと南側の、まぁまぁやさぐれた地域に住んでいましたが、楽しく暮らせました。
4年ほど働いて、美容師はやめました。仕事自体は楽しいけど、労働に対しての対価が安すぎるので、しんどかったですね。更に人気のスタイリストが独立して失敗する様を何度も見て、これは将来的に続けたい事ではないなと。今はどうか分かりませんが、当時は丁稚奉公的な考えも当たり前のようにありました。あれほんとに嫌いでしたね。
まぁ、俺自身に美容に関する才能がなかったってのもあると思いますが。結果的にはやめて正解でした。
上京し販売の道へ これが第二の人生の転機に!
大阪で5年過ごし、いい加減飽きたなと思い25歳で上京。土地勘が全くなかった俺は、いきなり中目黒に住み、東京はなんて家賃が高いんだと恐れおののきました(笑)。
高い家賃を払うならこの仕事しかないなという理由で、派遣で販売の仕事を開始します。当時、派遣の販売員はやたらと時給が高く残業代も含めると、美容師時代の2.5倍ぐらいの収入になりました。
接客そのものは割りと好きで、自分に合っていたのでしょう。現場に研修で入った日からそこそこ実績を出せました。数年後には、絶対に勝てないと言われていた数店舗を下し、日本1になったりもしました。マジで楽しかった…。
自分の特性にあった職種や職場というものは、人それぞれに存在します。今の職種がつらい人は飛び出す事も選択肢に入れておいた方がいいと思います。
美容師時代、やたらと「元気がないし声が小さい」とか「お前は笑顔がない」「協調性もないし社会人としておかしい」とか、いろんな店舗で言われてましたが、向いてなかったんでしょうねぇ。
派遣会社の立ち上げに関わる事に
数年後、その販売をやっていたスタッフ数名で派遣会社を始めました。
最初は法律が改正されるたびに右往左往して大変でしたが、今ではその会社は年商30億ぐらいの立派な企業になっています。社長は俺より年下ですが、大変頭の切れる器のデカい人間ですね。普通にいいやつ。
会社の設立から大きく成長していくところまで、全てを見ることが出来たのはいい経験になりました。※まだまだここからとは思ってますが。
沖縄旅行や伊勢神宮に行くようになったのも、この時期ですね。
伊勢神宮ひとり旅 春のお伊勢参り
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水納島でボートシュノーケル! 沖縄北部旅行
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そしてこのブログを書くようになったのもこの頃からです。自分達が沖縄に行く時、ネットで情報を調べると、当時全盛だったまとめサイト、キュレーションサイトばかりが上位にありました。そこでは当たり障りのない情報は簡単に得られるけど、実際行くと違うといった事が多かったんですよねぇ。
沖縄の青い海の写真などはよく見ますが、沖縄にいけばどこでもそうなっている訳ではなく、珊瑚礁も場所によって全然違います。で、結局リアルに行った人達の記事を参考にするようになりました。実際に旅行に行った先では、こういう生の情報が何よりも役に立ちます。
個人的に、いずれ家業の旅行系の仕事をやる可能性もあり、旅行取扱管理者の国家資格を取ったついでに、自分も旅について書いてみようかと思い記事を書き始めました。
何故かカンボジアへプチ移住
そして、東京に飽きてきた俺は、ある日突然カンボジアに行く事に。2年ほどプチ移住しました。基本的に根なし草なのです(笑)。ネットが使えれば仕事が出来る世界って素晴らしい!
まぁ、これも元々は秋葉イノシシがカンボジア行こうと言い出したのが発端なんですが。
というイノシシの提案に乗った俺と、職場の先輩が一足先にカンボジアに行きアパートを借りて生活し始めた頃
などとぬかして、移住の言い出しっぺが来なかった上に、連絡も取れなくなりました(笑)。
俺は日本からの仕事があるので生活に困ることはなく、自由な日々を満喫できたから良かったけど、もしそういう状況じゃなかったら、イノシシを地の果てまで追って、焼豚にしてたんじゃないかなぁ。帰国したときイノシシに会いにいったら、本当に気まずそうな、卑屈な顔をしてたので許しましたが(笑)
その後、秋葉イノシシ氏は「本当にダメなおっさん」になり果ててしまったので、この先の人生では一切関わらずに生きる事にしました。最後に会った時かなりキツめに「お前このままじゃだめだ」という事を言いましたが、多分響いてないだろなー。まぁ、何かに躓いた時に、思い出してくれたらいいですけどね。
2年程アンコールワットのある街、シェムリアップで暮らしました。アンコールワットまでバイクで15分ぐらいの家に住み、日々自由を噛みしめてましたね。
タプローム遺跡行ってきた カンボジア旅行記
カンボジア、シェムリアップの有名な遺跡「タプローム遺跡」に行ってきました。映画トゥームレイダーの撮影場所としても有名ですね。ガジュマルの木と石が織り成す不思議な、神秘的な美しさがある遺跡です。アンコー ...
カンボジア シェムリアップのクリスマスと年末年始
このページの目次1 カンボジアで迎えるクリスマスと年末年始2 大晦日もパーティだらけ カンボジアで迎えるクリスマスと年末年始 カンボジア、シェムリアップに来てはや1ヶ月。年末が近づいてきました。カンボ ...
ゲストハウスのオーナーと仲良くなって、パーティーや結婚式などによく呼ばれました。
カンボジアには、ヨーロッパや東アジアからたくさんの人が集まります。色んな国の人達と話す事で、価値観はかなり変わりました。せかせかするのアホくせぇなと(笑)
プチ移住は、割りとマジでおすすめです。うちの子供達にも、いつかやらせようと思ってます。
現在 割と自由に生きてます
現在は沖縄、東京を行ったり来たりしながら好きなように生きています。
やっと気楽に、自分の生きたいように生きていけるようになった気がします。忙しい時はめちゃくちゃ忙しいけど、ある程度自分の時間は確保できるようになりました。
この先はどうなっていくのか全く不明ですが、なんだかんだ、ふわっと楽しく生きて行けるような気はします。
今後も旅をしたら記事にしていくので、たまに見に来てやって下さい。
一体何の役にたつのか、誰が読んで得をするのかまったくもって不明ですが、こんな下らない雑文でも長くつづけると愛着が湧いてきます。今後も毎年更新して行こうと思っています。
それでは、皆様もよい旅を!
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